知らぬが仏はいつもじゃない説

こんばんは 主将の粕谷です。

前回までの新入部員の紹介、いかがでしたでしょうか。
判断材料がなかなか少ない中でしたが、それぞれの理由でボート部を良いなと思って入部を決めてくれて嬉しいです。
個人的には女子だけでエイトが出せる人数が揃ったということで、いつか朝練でエイトを出して高速レーンでぶいぶい言わせたいと思います笑

さて、課外活動の自粛要請が6月30日まで延長されたので、まだしばらくは自主トレーニングの日々です。
1人でランニングをしていると色々な事を考えるのですが、先日、ふと「知らぬが仏」は時と場合によるなと思ったのでこれをネタに書いていきたいと思います。

私はランニング中、足に負担が掛かるからか昔からよく爪が死にがちです。
ただ、ネイルをしていると爪の様子が分からないので、ダメージが大きくなるまで気がつかないということがよくあり、知っていたら対策できたなと思うことがあります。これは知らぬが仏の反例ですね。

とはいえ、例えばトレーニングで1分全力で走るというメニューで、ちらっとタイマーを見てあと40秒ほど残っていたときの軽い絶望感と、あと2秒だったときの嬉しさは全然違います。これは知らぬが仏だと思います。

話は変わり、気がつけば自分の学年の最後のレースまであと数ヶ月になってきました。
陸トレはしているものの、コロナ禍前に目標としていたレース結果やタイム、艇の動かし方の感覚を掴むといったところには届いていません。
まだまだ何もできていないのに、時間だけが過ぎていっているという感覚です。

私は、何かの期間の終わりが見え始めているから、という理由だけで頑張るというのは違うかなと思っているのですが(終わりが見えていない状態でも頑張っている人は一定数いると感じているので)、終わりがあるということを知っていればそれに見合った行動ができると思います。

ということで、適度に知らぬが仏に抗って自分がするべきことを考えつつ、後悔の無いように大切に過ごしていきたいと思います。
では!

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