みなさんこんにちは。4年の本嶋です。今回で最後のブログにします。
色々書きすぎて長くなってしまいました。
まず、遅ればせながらインカレの振り返りをしたいと思います。今回のインカレでは直前に大きくクルー変更をしました。私の大学の試験が金曜の午前中に被っていたからです。最初から私がシングルで出ていればよかった話ではありますが、例年のレーススケジュールでは予選を上がってしまえばレースが被らないと思っていました。そのため試験は無視したクルーを組んでいました。
しかし競漕日程が発表されるとどうしても準々決勝をかわせないことが分かり、色々と努力しましたが結局クルー変更になってしまいました。この件では部員や監督コーチをはじめとして沢山の方々にご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ございません。
結局私はM1Xでインカレに出場しました。とりあえず1秒でも早く、タイムを狙っていこうと思って挑みました。予選の出だしはかなりハイレートで攻めましたが、力んでいて中盤で失速してしまって組4位でした。最後スパートを入れるのも遅くて、レースが終わった後丸坊に「スパートを入れるのが遅すぎる!!」とお叱りをいただきました。
敗者復活では出だしいい感じでしたが、150m地点くらいで盛大に腹を切ってしまって完全に停止してしまいました。そこから頑張って、丸坊からの反省も生かして1500くらいからスパートを入れましたが結局組3位でした。でも何とか準々決勝には進出という形で終われました。これがボート人生最後のレースだと思っていました。結局、台風によるレーススケジュールの変更でもう1本漕げました。もう本当に神様いるのかなと思いました。
最後のFinal Eは今までで一番いいレースができたかなと思います。今までの自分がいいところも悪いところも含めて全部出たレースでした。私はずっと最初突っ込んであとは何とかなるだろみたいな感じでレースをしていましたが、最後のレースだけは最初からリラックスしつつもリズムに乗ってスタートできて、結局中盤は落ちましたが最後はスパートで結構上げられました。直前の中上さんのアドバイスが効きました。よくいろんな人から最後なんであげられるの?と言われますが、単純に早く漕ぎ終わりたいからです。頑張れば頑張るほど早く終わるって考えれば勝手に上がっていきます。
こんな感じで私のインカレは終わりました。結局4年間で何も結果を残せませんでした。沢山のクルーが日の目を見てボート生活を終える中で、目に見える形を何も残せませんでした。そんな簡単にうまくいくスポーツではないとわかっているけれど、でもやっぱりやるせなさは大会後ありました。
チームとして振り返ってみると、クルー変更したのは悪くなかったと思っています。なんせ全クルーが予選を通過したわけですから。予選を通過して沢山のレースをした経験は必ずや来年以降に生きると思います。慣れない他大学との混成でOXに出た1年生も含めて、戦い抜いてくれてよかった!
新見さんは5位に入賞しました。みんな中々結果が出なくて苦しんでいる中で、結果を残してくれました。A決勝はやはり独特の緊張感があります。新見さんがA決勝の舞台で戦ってくれたことで、「来年こそはここに立ちたい」と思った部員もいると思うし「きちんと練習をしていればここに立てる」と思った部員もいるのではないでしょうか。本当は私もそんな姿を見せてあげたかったですけど、、感謝です。本人はもっと上に行きたかったと思いますしブログでもメンタルを強くしないとと言っていました。でも大学から未経験で始めて、試合経験が少ない中周りの期待を一身に背負って漕いでくれただけですごいことだと思います。
全クルー精一杯漕ぎ切れたのは、間違いなマネさんや丸坊、谷口さんらサポートみんなの支えがあったからです。漕手はレースでみんなの注目を浴びて結果が出たら表彰されますけど、サポートの人達にスポットライトが当たることって中々ないじゃないですか。でもいないと漕手たちが自分の力を十分に発揮することができないし、レースに集中することができません。一人がレースでパフォーマンスを発揮する裏には、何人の人もの支えがあります。その部分を大会中担ってくれて、感謝しています。
正直大会期間中、サポートの人の方が漕手よりも疲れるんじゃないかなと思っています。漕手はただレースとリカバリーに集中していますが、サポートの人達は誰がどこでビデオを撮るとか、だれが買い出しに行ってご飯を作るとか、クルーがレースを終えたらあれ渡してこれ渡して、艇を片付けるのを手伝って、蹴りの時は笑顔で送り出して…とか時間を気にしながら四六時中ずっと気を張っているんです。だからめっちゃ疲れます。本当にありがとうございます!
あと表彰の補助員に行ってくれた傍島さんと夏目さん、本当にありがとう!みんなと一緒にいたかったはずだけど、大会を運営する上で欠かせない役を全うしてくれました。
私はみんなから、何でそんなに練習ができるの?と言われることがあります。その答えとしては、日本一を獲りたかったから。そしてその姿を周りの人に見せたかったから。です。入部した時に沢山松本さん矢田さんの準優勝のビデオを見て、自分が引退するとき周りの人に囲まれながら結果を出せていたら最高だろうなと思いました。お二方を超えたいとも思っていました。また、合宿ができず思うように練習できない中で引退された先輩方に育てられた世代なので、その分も頑張りたいなと思っていました。時を重ねるにつれて副将や主将と役職にもつきました。誰よりも練習をしっかりやって、結果も残していけばみんなも私を信じてついてきてくれるかなと思いました。私は小中高とバスケ部にいたものの役職に就いたことはなく、強いリーダーシップもないしカリスマ性があるわけでもないです。だから正直主将には向いてないです。練習をしっかりやるだけでチームをまとめることを丁寧にできていなかったというのが、引退した今反省しているところです。
周りの人をみんな喜ばせたかったけど、特に同期の飯沼のことは喜ばせたかったです。自分のことじゃなくて、いつも漕手がどうしたらベストを尽くせるか考えてる人だったので。結構難しいことですよ。最後はいい結果をプレゼントして引退させてあげたかったです。結局、結果の面では悲しませてばっかりだったかもしれません。
朝起きると絶対毎朝漕手より早く起きてお皿を拭いたり掃除したりしてくれて、おはようって言ってくれてました。すごい気を遣ってくれるし人を傷つけることとか絶対言いませんし。日中とか夜ごはんの時間も周りの人と沢山コミュニケーションをとって、艇庫の雰囲気が自然と明るくなっていたなと思います。彼女が本気で部のことと向き合ってくれているから尚更自分も頑張ろうって思えました。ずっと艇庫でみんなと一緒に生活していたからこそ部の雰囲気にも敏感で、沢山相談できる同期でした。主将チェンジしたほうがいいんじゃない?ってくらい。一番助けてもらったし一番元気をもらいました。間違いなく最高に自慢できる主務です。
監督や中上さんにも本当にお世話になりました。いつもお時間を割いてきてくださって、中々ここまで応援していただける大人の方はいません。中上さんのご指導を本格的に受けられたのは最後のほぼ1年だけでしたが、中上さんの熱いご指導を受けられたことに感謝しています。この練習を続けていれば日本一が獲れると、そう確信できました。あと1年合宿できていたらな、、とよく思います。
また、沢山のご支援をいただいたOB・OG皆様にも感謝してもしきれません。コロナが明けてからは交流の機会も増えてきて、貴重なお話を聞ける機会も多く楽しかったです。
五大学その他諸々の大学のみんなにも沢山刺激をもらいました。私一人ではなにもできませんが、すばらしい戸田の仲間のおかげで自分の大学の中だけでは味わえない楽しさを膨らませられました。
これからの海洋大漕艇部は髙松主将を中心にさらにパワーアップしていくと思います。彼はすごい部のことを考えている人ですし、今の3年生も全員頼りになります。2年生も私を超える逸材がいっぱいいますし1年生も伸びしろたっぷりのいい子たちです。みんな、ローイングを真剣に考えている部員ばかりです。学業と練習と、もがきながらも頑張ってくれると思います。私がローイングをしている間に届かなかったタイトルを、私が関わった後輩、そのまた後輩が獲ってくれたら嬉しいです。これからの漕艇部が楽しみです。
最後になりますが、今まで支えてくださったすべての皆様に感謝申し上げます。
この代で、この周りのすべての仲間と一緒にボートができて、楽しかったです。
ありがとうございました。